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「恵みとまことに満ちておられる神」 2009年2月1日


松下 信 牧師
詩篇86:15
詩篇86篇は神さまにあわれみを求めている個人的な祈りであります。あわれみを請うだけ
ではなく賛美や感謝もあり、さまざまな要素が入り混じっている詩です。
今朝は特に15節を取り上げて、「恵みとまこと」 という表現にこだわりながら、神さまの
偉大さを賛美させていただきます。


「しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。 怒るのにおそく、恵みとまことに
 富んでおられます。」
(15節) 「恵み」も「まこと」も契約に関係のある語であります。
神さまが人間と結ばれた契約のゆえにもたらされるものであります。 
旧約聖書の中で使われている恵み (ヘセドゥ) という語は慈しみとも訳されます。新約聖書
の中では、「恵み」 は全く価なしに与えられる神の賜物 (ロマ5:15、エペソ3:7) であり
ます。恵みは信仰によって受けることができます。それは良い行いの報酬として受けるもの
でなく、神さまからの一方的な賜物です (ロマ3:20)。 
「イエスは救い主である」 と信じる者だけが、この恵みを手に入れることができるのであり
ます。 


あなたは自分こそ優れた信仰者であると自負していませんか。 ところが、その信仰でさえ
も神さまから与えられたもの、神の賜物なのであります (エペソ2:8)。「まこと」 は真実
や信仰のことであります。神さまは真実なお方であり、約束したことは絶対に守るお方であ
ります。人間はどんなに正直そうに見えても裏切ります。愛したいと思っても、憎んだり悪
口を言ったりしてしまいます。
しかし、神である主はあわれみ深く、情け深いお方です。 非常に忍耐強くて、慈しみ
深く愛に満ちておられます。 主は真実なお方であり、誠実に約束を守られるお方な
のであります。

詩篇の作者は、「主が愛に満ち、真実に満ちておられるお方」であることを告白し、
          主に感謝し主を賛美しているのであります。


【 結 論 】  
今、あなたは自分自身が何者であるかをよく知っておられますか。
「自分には限界があり、万能でないこと。自分は罪ある存在であり、死ぬべき者であること。
自分は創造主ではなく、被造物であること・・・など」 を認めるとき、あなたは神がいかに
偉大なお方であるかを知るに違いありません。  
神は愛と真実に満ちたお方です。この神が私たちを滅びから救い出すために大切な一人息子
をこの地上に遣わし、このひとり息子の死をゆるされました。


昨日、私は当教会の前任者である鈴木邦俊牧師のご長男の葬儀に参列しました。大切な息子
に先立たれた父親の悲しみ、苦しみ、痛みがひしひしと伝わってくる告別式でありました。
死ぬために地上に遣わされたイエス・キリストの姿を福音書記者ヨハネが次のように表現し
ています。  
   「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。 私たちはこの方の栄光を
   見た。 父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みと
   まことに満ちておられた」



神さまから一方的に与えられたイエス・キリストにある救いに心から感謝致しましょう。


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