教会の月報 「白山道」10月号 より |
コスモス愛燦会 9月15日(日) |
厳しい残暑が残る9月15日の礼拝後、敬老の思いをもってコスモス愛餐会が開かれました。 M・E姉の 司会で"美味しい食事"を歌いお祈りをもって開会。 巻きずし、2色のいなりずし、赤飯のおにぎりが彩 りよく並べられたお弁当をいただきました。 今年から対象の年齢が引き上げられ75歳以上になり、一人 ひとり名前が読み上げられて、教会学校の子どもたちがプレゼンターとなってカードとお菓子が届けられ ました。 賛美のプレゼントもありました。 コロナ禍で中断されていただけに40数名が一堂に会して喜び 合うことに格別の感を覚えました。 カードには「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外な る人は衰えても内なる人は日々新たにされています。」 と、Ⅱコリント14:16のみことばが記されてい ました。 |
召天者記念礼拝 9月29日(日) |
9月29日(日)召天者記念礼拝が行われ、伝道者の書7:1~4より「死を覚えて生きよ」と題して井上牧 師よりメッセージをいただきました。 はじめに、信仰の先輩お一人おひとりを覚えこの命をどう生きるか 立ち止まって考えることができますようにと祈られ、名簿にある方々のお名前をお一人ずつ読み上げられた 後、次の三つのポイントに沿って語ってくださいました。 1.古今東西の死観 世界の中で死がどう捉えられてきたのか。 識者たちは人間とは死すべき存在である こと、一方で人間は死をどこか他人事として振る舞うところがあると語ってきた。 2.聖書の死観 聖書も基本的には同じことを言っている。 しかし、死から目を背けることも明日死ぬのだ からと開き直ることも明確に間違っている。 何を信じ、どう生きたか。それを見て永遠のお方が私たち の死後の運命を決定づける、それが聖書の教えである。 3.死を覚えて生きよ 目を背けるのでも開き直るのでもなく、真正面から死を受け止めて生きよ。 死を受 け止めるからこそ私たちは死を超えて続くものがあることに目が開かれていく。 先輩たちは死に勝利し て喜んで先だっていかれた。 そして最後に、希望をもって召されていった先輩たちに見習って永遠の いのちの祝福に生きていきましょう。 そのためには教会に集い、聖書の言葉に聴き、キリストを知り続 けることが不可欠ですと結ばれました。 |